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ある知的障害者たちの戦中戦後記

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らいは不治にあらず

"戦闘配置"されず

届かぬ訴え

障害者たちの戦争

戦争は罪悪である

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"笑い"が人と会社を救う

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ぼくらが歌った死の讃歌

台湾再発見!

ぼくらの遊び場は
原爆ドームだった

平和を願う

らいは不治にあらず〜ハンセン病隔離に抗った医師の記録〜

ハンセン病患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年がたつ。多くの患者を苦しめた「絶対隔離」という誤った政策。その闇を検証する上で重要な資料が最近見つかった。元京大医学部助教授・小笠原登の日記や書簡である。小笠原は「らい菌は伝染性が弱く治療も可能」との信念から国の隔離政策に異を唱え独自の治療実践を行っていた。なぜ小笠原の説は主流にならなかったのか。発見された文書や関係者の証言を基に検証する。

ETV特集 NHK Eテレ/2016年4月23日/59分

ある知的障害者たちの戦中戦後記〈第2回〉"ニュースさん"が歩んだ道

疎開先で知的障害者10人の仲間を失った施設は、終戦後、伊豆大島に戻って運営を再開しました。間もなく、全国の知的障害者施設は福祉施設として公認され、補助金の支給が始まります。 しかし、対象は児童に限定され、教育の義務化は見送られたままでした。その保障実現を訴える施設関係者、保護者らの長い道のりが続きます。 年齢制限の撤廃は昭和35年、教育の義務化は障害者の中で最も遅い昭和54年まで待たされました。疎開生活を生き延びた20人は、いずれも学校教育を受けられないまま一生を終えています。 なぜ救済は遅れたのでしょうか。知的障害者の戦後の処遇を、残された資料と関係者の証言から検証します。

ハートネットTV NHK Eテレ/2015年8月20日/29分

ある知的障害者たちの戦中戦後記〈第1回〉消え入った10の命

戦中戦後の知的障害者たちの知られざる境遇を示す記録が、70年ぶりに発見されました。施設の保母が代々、戦前から戦後にかけて毎日記した業務日誌と、記録映像の数々です。 その施設は昭和19年夏、軍の要塞化で温暖な伊豆大島を追われ、何の補償もないまま30人の知的障害者を連れて山梨県の開拓村に疎開していました。日誌には、入園者たちが飢えと寒さで徐々にやせ細り、1人また1人と息を引き取っていく過程が記録されています。1年余りの間に10の命が消え入りました。 なぜ悲劇は起きたのでしょうか? その経緯と背景を追跡します。

ハートネットTV NHK Eテレ/2015年8月19日/29分

"戦闘配置"されず〜肢体不自由児たちの学童疎開〜

太平洋戦争末期、空襲による被害を避けるため、国が大都市の児童約60万人を農村地帯などに一時移住させた「学童疎開」。近年、それにまつわる数多くの資料が見つかり、学童疎開の知られざる側面が明らかになってきた。肢体不自由児たちの集団疎開である。 日本で最初に開校した肢体不自由児の学校・東京都立光明(こうめい)特別支援学校では、数年前から古い文書や撮影フィルムが相次いで発見されてきた。そこには、昭和初期の開校当時から戦後に至る学校生活の様子が記録されている。戦中から戦後にかけて校長を務めた松本保平さん(故人)が残した手記には、肢体不自由児の境遇をめぐるさまざまな出来事と思いが生々しくつづられていた。 肢体不自由児はなぜ学童疎開に不適とされたのか。校長と子どもたちは何と戦ったのか。 残された手記と記録フィルム、卒業生たちの証言から、肢体不自由児たちの生きた戦争を見つめる。

ETV特集 NHK Eテレ/2014年8月9日/59分

届かぬ訴え〜空襲被害者たちの戦後〜

太平洋戦争中の空襲で重い傷を負った「戦災傷害者」は全国でおよそ48万人にのぼるといわれている。戦後長らく後遺症や差別に苦しみ、経済的に苦しい生活を強いられてきたが、国は「戦災は国民ひとしく受忍すべき」「国との雇用関係がない」という理由で、ほとんど何の救済も行ってこなかった。 名古屋空襲で左目を失った杉山千佐子さん(97歳)は、国による実態調査と救済を求める活動のかたわら、全国の戦傷者の姿を8ミリフィルムに収めてきた。これまでほとんど公開されてこなかった貴重なフィルムには、戦傷者たちが戦後歩んできた想像を絶する"苦難の人生"と、国への"失望"や"怒り"が赤裸々に記録されている。番組では、彼らの人生と思いを描き、国は空襲による戦災傷害者にどう向き合うべきか、"戦後補償の空白"を問いかける。

ETV特集 NHK Eテレ/2013年8月/59分

障害者たちの戦争

戦争中、戦力に役立たないといわれ、差別に苦しんできた障害者たち。「戦争の役に立ちたい」と願う障害者たちを、国も積極的に利用し、戦争に組み込んでいく。戦争の時代を障害者たちはどう過ごし、生き抜いてきたのか……?
 体験者への証言、当時の貴重な資料、スタジオ討論で、「障害者と戦争」の全貌を明らかにする。

ETV特集 NHK教育/2009年12月/60分

戦争は罪悪である 〜ある仏教者の名誉回復〜

日中戦争(1937年)が始まって、日本国中が戦争に熱狂し始めた時、岐阜県垂井町、岩手村の1人の老僧(71歳)が「戦争は罪悪」と説き、陸軍刑法違反で逮捕され、有罪判決を受けた。老僧の属する浄土真宗の真宗大谷派も処分を下す。老僧の名は竹中彰元。彰元は戦国時代の軍師、竹中半兵衛の一族。老僧は、日本の敗北を見届け、終戦の年の10月に亡くなった。以来、老僧の名は消えたままだったが、昨年10月、真宗大谷派は、老僧の名誉回復を行なった。この老僧の処分から名誉回復に至るドキュメンタリー。
番組では、仏教の教えとは? 戦争に協力する教団、1人の老僧と周りの人々(村人、住職たち)の対応、教団の戦争責任、名誉回復に至るプロセスを取材した。

ETV特集 NHK教育/2008年12月/60分

おばあちゃん、一緒に歩くね 〜ナガサキ原爆物語〜

クリエイティブ21の舞台に出演する女の子が、祖母が被爆した長崎を訪ね、決意新たに舞台に立つまでの物語。(ロケ地/長崎、沖縄、東京)

テレメンタリー98 テレビ朝日系全国ネット/1998年/30分

ぼくらが歌った死の讃歌 〜52年目の教え子との対話〜

52年前の学童疎開の引率教師と生徒が、かつての疎開地を訪ね、地元の小学生やゆかりの人々と交流。全編に戦争応援歌が流れる。(ロケ地/宮城、東京)

テレメンタリー98 テレビ朝日系全国ネット/1998年/30分

はだしのゲン誕生物語

若い劇団が、「はだしのゲン」を舞台化するまでの喜怒哀楽の物語(ロケ地/広島、東京)

BSドキュメンタリー NHKBS1/1995年/60分

ぼくらの遊び場は原爆ドームだった 
〜はだしのゲン、50年目のヒロシマ〜

「はだしのゲン」がアメリカの核実験場を歩き、被爆兵士や市民と交流。50年ぶりに広島に帰り、旧友たちの再会をする。(ロケ地/アメリカ横断、広島など)

終戦50年スペシャル番組 テレビ朝日系全国ネット/1995年/90分

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