戦後65年。日本が焦土と化した太平洋戦争(日本は当時、大東亜戦争と呼称)から驚異的な復興をみせた日本。戦争は「過去の出来事」「歴史」となりつつある。
旧軍人、軍属はもとより、原爆被害者にも戦争で被害を被った人びとには、国によって補償の手が差し伸べられた。「戦後補償はすべて終わった」と多くの政治家、役人、そして国民は思っている。しかし、空襲で負傷し、後遺症(手や足を失ったり、火災、焼夷弾の火傷によってケロイドを残すなど)を負った民間人「戦災傷害者」には救いの手は差し伸べられていない。約50万人といわれた戦災傷害者にとっては、戦後も生きるため、戦争だった。多くの戦傷者が訴えた。しかし、軍人や軍属の後まわしにされ、民間人の被爆者への援護が行なわれた後も、彼らの訴えは、届かなかった。「国との雇用関係にない」「内地は戦場ではない」それが理由だった。 時は過ぎ、多くの戦災傷害者は声を出すのを諦めたり、病床にふした。無念の思いで他界した人もいる。そうした人びとの思いを背負って、声をあげつづける人もいる。
「国は私たちが死ぬのを待っている」「みんな死ねばいいと思っている」
「私たちは棄てられた民なのか」今の想いが語られる。
戦傷者は"棄民"なのか?
戦後60余年を生きてきた傷ついた民の憤り、怒り、あきらめ、悔しさの声を綴る。

クリエイティブ21
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