沖縄戦が終わって55年目の2000年6月23日(沖縄戦の日本軍のアメリカ軍への組織的抵抗が終わった日。現在は「慰霊の日」)がクランクイン。2002年12月にクランクアップして、2003年6月に、できあがりました。

これは沖縄戦の動員された沖縄県立第二高等女学校の学徒看護隊の生存者の証言をもとにしたドキュメンタリーの映画です。取材の時には、足腰もしっかりしていたのに、いまでは、杖なしでは歩くことができなくなった方がおられます。

彼女たちは、当時16歳で、軍属として野戦病院に配属されたのでした。そして、沖縄戦で日本軍が敗走する時に、病院は解散、戦場に放り出されたのでした。砲弾、銃弾の前に生命を落とした者、奇跡的に生き残った者、未だ行方不明の者・・・それぞれの運命です。

作品は、戦火が止み生き残った者の「語り」です。彼女たちには、自らが勤務した壕の中で、または、壕の前で、夜、潜んでいた場所で、語っていただきました。戦後、何度か、それらの場所に足を運んでいる元学徒もいましたが、撮影のために55年ぶりに足を運んで下さった学徒もいました。その場で、足がすくんでしまった元学徒もいました。亡き友(学徒)と歌った愛唱歌を涙ながらに口ずさんだ元学徒もいました。彼女たちは、沖縄戦でのここであった現実を思い出していたのです。亡き友と対話していたのです。

彼女たちは、カメラの前で語ったのではないと私は思っています。あの体験をした時代、生き残った学徒、亡き友と語っていたのです。撮影の時、彼女たちは、まぎれもなく16歳でした。学徒隊員の語りだったし、表情でした。

元白梅学徒隊の方々の会話に耳を傾けていて、彼女たちは同学年の友人のことを「お友だち」と今でも口にします。私には、一つの光景が、脳裏に焼き付いています。毎年6月23日は、南部の「白梅の塔」の前で、戦没された教職員、学徒、同窓生の慰霊祭が行なわれます。ある年の慰霊の日の朝、一人の元学徒が、慰霊碑の汚れを落としながら、刻まれた亡き友の名を呼び続けていました。

彼女たちの中には「友」は今も生きているのでしょう。沖縄戦で、16歳で生命亡くした者。

彼女たちは、どんな思いで、生きてきたのでしょうか?

作品を「友の碑-白梅学徒の沖縄戦」と名付けました。白梅をみると、凛とした感じがするのですが、少し淋しい気がします。梅の花は、寒い風にさらされながらも、他の花に先がけて咲きます。寒い風がやんで、温かい風と共に春が来ると静かに散っていきます。梅の花が、春告草といわれる由縁です。

戦争という理不尽な暴力によって、16歳で、生命を絶ちきられた白梅学徒。沖縄戦で散った白梅…その後、春が来たのだろうか? 60年以上経ったいま、春が来ているのだろうか?

監督 林 雅行

クリエイティブ21
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