日本の隣人、台湾。日本のビジネスマン・観光客は、年間100万人以上、台湾を訪れています。観光客の多くはグルメとエステを求めてやってきます。

映画の舞台、台湾・九份は、映画「悲情城市」の舞台となり、日本人だけでなく、地元台湾の人々にも人気のある観光スポットです。しかし、この街が日本時代に金鉱として栄え、いま台湾の芸術家たちが集う街として存在することはあまり日本人には知られていません。

街には、金を掘り当てた坑夫たちの歴史があります。金鉱は、台湾が日本の植民地・統治下に入ってまもなく、台湾の実業家の手に移り、ますますの発展をとげます。ゴールドラッシュが起こり、街は「小香港」「小上海」と呼ばれました。しかし戦後、しばらくすると金は底をつき、坑夫たちは街を去りました。

九份で生まれ育ち、金鉱で働いた江兩旺さん(80歳)は、街の歴史を知る唯一の生き証人。彼が映画の案内人です。映画は江さんの人生と街の栄枯盛衰を描きます。

隣人の歩みを知ることは、私たち日本人の足元を見直すことにもつながると思います。

林 雅行

クリエイティブ21
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