『雨が舞う』は『風を聴く』の姉妹編。西側の九份と東側の金瓜石、基隆山の麓に咲いた2つの街の物語である。
私が初めて九份を訪れた時、瑞芳から海岸沿いを通って、金瓜石の海側にある水湳洞から金瓜石本山に向けて山を登った。基隆山は標高588メートルの小さな山だ。九份から見ると、穏やかな山に見えるが、金瓜石から見ると、険しい山で猛々しさを思わせる。

この山の麓にそれぞれ数万人の人が生き、穴を掘っていた。その数合わせると8万人。そう思うと、なぜかしら胸が高まってきた。ふと街はずれに目を向けると、箱庭のように山の斜面にお墓がへばりつくように建っている。この地で生命を終えた台湾人の証である。九份では鉱夫は50歳を待たずに生命を終え、寡婦が多かったという。また、今はないが、金瓜石には日本人墓地だけではなく、戦争中捕虜となってこの地に連れてこられ命を落としたイギリス人たちの墓もあった。この地に生きる人々はその時代を記憶し、記憶とともに生きている。

『風を聴く』を作りながら、金瓜石の存在は意識していた。そこに、日本人が大勢いたからかもしれない。九份だけで終わるわけにはいかない。そして今、やっと自分の想いを遂げることができた。

いつも思っていることをここでも強調したい。
私たち日本人は歴史に向かい合うことが苦手なようである。都合の良い、心地よい歴史の出来事だけを受け入れるのではなく、その地に生きてきた人、生きている人の苦渋、哀しみを見つめることも忘れてはならないと思う。
素晴らしき隣人を理解し、共に歩むためにも。

林 雅行

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